平成19年1月4日

平成19年を迎えて

岡山県バスケットボール協会 

会長 市川 東作

 新年おめでとうございます。
 昨年末には倉敷翠松高等学校が全国高等学校バスケットボール大会において、女子全国3位の成績を収め、その選手の喜びの表情が山陽新聞に掲載されており近く県内のバスケットボール愛好者も笑顔を持って見られたことと思います。男子の倉敷青陵高校の善戦も伝えられました。

 又、昨年末には日本バスケットボール協会会長の鬼塚喜八郎氏が米寿を迎えられてその祝う会が東京で催され、全国から約400名の方が出席し私も当協会を代表して出席致しましたが、その場で鬼塚氏と一番長い交流をしているからと、代表でスピーチを依頼され行いました。

 今から約50年前の昭和29年、神戸YMCAで練習をしているときに35歳位の青年がコートに訪れ、私にバスケットシューズを差し出しその使い勝手を知らせて欲しいと依頼されました。その後、神戸市長田区にあったゴム会社を今度は私が訪れてシューズの底の形について意見を述べました。その人こそが現在のアシックス会長で日本バスケットボール協会の鬼塚氏でした。

鬼塚氏は終戦時復員後、貧しい経済状態で非行化してゆく少年達を町で見かけ、それ等の青少年の健全育成にはスポーツによる育成が第一と考え、スポーツシューズメーカー「オニツカ株式会社」を創設、スポーツシューズに挑戦するなら一番シューズに耐力が求められるバスケットシューズ製作だと最初に挑戦し、その後各種スポーツシューズを製作、オニツカタイガーシューズとして日本を代表するメーカーに成長しました。

昭和52年(1997年)スポーツウェアメーカー2社と3社合併して世界の3大スポーツシューズメーカーとしての総合スポーツ用品メーカー「株式会社アシックス」を創立、社長を経て現在会長でおられます。鬼塚会長の経営力に非凡さが窺(うかが)われますが、その人格に子供達への愛情が清く流れていることに氏に接っした企業内外の人、スポーツ関連者に共感を与えたものと思っております。

 岡山県のバスケットボールを愛好する人々も闘志とフェアプレイの精神を共存する健全な青少年作りに協力し合い、又、その礎(いしずえ)に立って「強い岡山」作りに向かって本年も手を携えて頑張って参りましょう。